親は死んで子どもの血肉となる ~鮭の産卵より

親は死んで子どもの血肉となる ~鮭の産卵より

親は死んで子どもの血肉となる ~鮭の産卵より

自然の妙 サケの産卵

大海で成長した鮭が、故郷の川を目指して一斉に遡上し、川床に卵を産み付けた後、大量に死んでいく様は、壮絶でもあり、心動かされる風景でもあります。
普通は、産卵した後、子供が孵化するまで親が守り育て、自分で餌が取れるほど育ってから別れゆくものですが、鮭は産卵後、数日で命が尽きてしまいます。でも、親が死んで、自分の身を餌として捧げるからこそ、子供も過酷な自然で生き延びることができます。

また、大量の鮭の死骸は、森の栄養源となりますし、川にやって来る大量の鮭はお腹を空かせた熊のご馳走でもあります。
私も時々、有り難く頂いております。

この世に無駄な鮭は一匹としてなく、全てが生命の連鎖の中で何らかの役割を果たしているんですよね。

このパートは、主人公とヒロインが初めて磯海岸にデートに出かける場面です。

彼は彼女を喜ばせるつもりで、自分の好きな科学番組『オーシャン・プラネット』のビデオを持参します。

自分の好きなものは、彼女も気に入ってくれるだろうという、子供っぽい期待です。

それは彼女の期待していたモノとは全く違いましたが、彼女は付き合いで鑑賞して、ちゃんと感想も言ってあげます。

『愛される秘訣』って、こんな些細なことなんですよね。

【小説の抜粋】 鮭の一生

海洋情報ネットワークの構築に向けて、西に東に奔走するヴァルターは、恋人のリズの束の間の休息を楽しむ。

デートに来ても、父親のことを案じるリズに対し、ヴァルターは科学番組の『鮭の産卵』を見せ、親は自分が死しても、子どもの栄養になる自然と生命の不思議を話して聞かせる。

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ウミガメの産卵 ~見守るしかない親の愛と子供の人生

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日曜日、二人は磯海岸に出かけ、サイクリングを楽しんだ。
ローレンシア島の南側には清涼とした磯海岸が広がり、沿道にはサイクリングロードや遊歩道も整備されている。リズは電動アシスト付きのレンタル自転車を借り、南の宿舎から二十キロ先にある磯公園に出かけた。
幅七〇〇メートルの入り江には、海面から大きく突き出した亀のような一枚岩や、背の高いアーチ状の岸壁、波に削られて軽石のようにボコボコした巨岩など、ユニークな風景が広がっている。周辺ではバーベキューを楽しむ家族連れや若者グループが歓声を上げ、二人も彼らに混じってピクニックシートを広げた。
が、嬉しい反面、父のことも気にかかる。一人で淋しくないだろうか、父の為に作り置きした料理はちゃんと温め直しただろうか、いろんな心配が胸に浮かぶ。
そんな彼女の横顔を覗き込み、
「出がけにパパに何か言われたのか? 時々、『心ここに在らず』みたいな顔をする」
と彼が気遣うと、リズは決まり悪そうに肩をすぼめた。
「そうじゃないの。パパがちゃんとご飯を食べたか、気になって……」
「デート中にパパのご飯が心配で上の空になる女の子なんて、初めて聞いた」
「ごめんなさい。決してあなたのことを軽んじているわけでは……」
「いいよ、気にしない。君がパパのことなど微塵も気に掛けないような人なら、俺も遊びに誘ったりしない」
「でも、周りには『パパ大好き人間』と思われてるわ。いい年して、気味が悪いと」
「依存と情愛は別だろう。俺には君がパパにべったり依存しているようには見えないけど。そうだ、君にいいものを見せるよ。俺のお気に入りのショートフィルムだ」
彼はバックパックを開き、タブレット端末を取り出した。
「まあ、どんな映画?」
「《鮭の産卵》」
「は?」
「鮭(トラウト)だよ。サーモン」
「マリネにする魚?」
「そう。君の大好物」
「それが卵を産むビデオ?」
「そう。『オーシャン・プラネット』の中でもベストスリーに入る感動作だ。きっと君の気に入る」
それは長さ三十分の科学ドキュメンタリー番組だった。
大洋を周遊する鮭の群れは故郷の川を上り、パートナーを見つけて川床に大量の卵を産み付け、そのまま死んでいく。番組の最後、大量死した鮭の死骸が川面をいっぱいに埋め尽くすと、さすがにリズも顔色を変え、「なんだか残酷ね」と漏らした。
「でも、こうして卵の側で死んでいくから、その死骸はやがて稚魚の餌になり、厳しい自然を生き抜くことができるんだよ」
「子供の餌に……?」
「そう。親の死骸は自然に腐敗して、卵が孵る頃には栄養豊かな食べ物になる。救われるのは稚魚だけじゃない、熊やキツネなど、冬を越した森の動物たちの食糧にもなる。食い散らかされた鮭の死骸は一つ残らず稚魚や動物の糧になり、川と緑を育むエネルギーに生まれ変わるんだよ」
「そうだったの」
「自然と生命の関わりは本当に不思議だ。どれ一つ欠けても自然は成り立たず、自然が機能しなければ生物も生存できない。まるで緻密に織り上げられた宇宙のプログラミングを見るようだ」
「他にどんな海の生き物が好きなの?」
「海の生き物は何でも好きだよ。特に深海にいるのがね。どれもグロテスクで、何の為に存在するのか分からないような変な生き物ばかりだけど、あんな真っ暗な海の底でも一所懸命に生きている。その一つ一つが俺には誰かの生まれ変わりに見えるんだ。でも、一番好きなのはイルカかな。子供の頃、一緒に泳いだ時のことが今も忘れられない」
「それは水族館の催しで?」
「ドルフィン・ケアセンターだよ。ドルフィンセラピーとも呼んでいる。イルカと触れ合うことで心と身体を癒やすんだ。五歳の時、家族で訪れた時のことが今も忘れられない」
「でも、どうして……」
「突然、誰とも喋らなくなったからだ」
「対人恐怖症のようなもの?」
「分からない。俺も何が原因だったのか、まったく記憶がない。病気でもないし、障害でもない。でも、突然そうなったらしい」
「じゃあ、ご両親もさぞかし心配されたでしょうね」
「母はともかく、父は大変なショックを受けて、毎日のように診察に訪れた。あちこちの病院、セラピー、耳鼻科医、カウンセラー、時にはドイツやオーストリアの国境を越えて専門機関に連れて行った。でも、何所へ行っても言われることは同じだ。誰にも直せない。しまいに俺は心の中で悲鳴を上げていた。『父さん、もう止めて』と。でも、父の必死の思いを知ったら、『イヤ』とは言えなかった。診察室でぐっと奥歯を噛みしめて口を開かないのが、俺の精一杯の抵抗だったんだ。それがきっかけで公立小学校の入学を拒否された時、父はとうとう海岸で俺を怒鳴りつけた。『ちゃんと喋れるのに、どうして喋ろうとしないんだ!』。俺は生まれて初めて父親に怒鳴られたショックで、わあわあ泣き出した。すると父は『泣きたいのは僕の方だ』とこぼして、本当に泣き出したんだよ。俺はまさか父が泣くなんて夢にも思わなかったから、びっくりして泣き止んだ。その時だけは、父の方が幼い子供に見えて、夢中で慰めたよ。首に抱きついて、背中をさすってね。そのうち、父も我に返って俺に謝った。その時、子供心に感じたんだ。親といっても、完璧な神様じゃない。子供と同じように泣いたり、苦しんだりするんだと。それからいっそう父のことが好きになった。心底から愛されてるんだと実感したよ。決して威張ったり、繕ったりしない」
「誰よりも近い存在だったのね。魂の片割れみたいに」
「俺の父親は四十一歳で死んだ。自分が三十歳になって、その短さを改めて痛感する。これまでずっと自分の痛み苦しみを癒やすのに精一杯で、父の死を悼む余裕もなかったけど、今は心の底から可哀想だと思う。仕事も順調で、何もかもこれからだった。夢も、やりたいことも、いっぱいあったはずだ。人は簡単に『運命』と言うけど、運命などであるものか。父は最後の瞬間まで意思もって闘った。肉体は無くなっても、父の意思はいろんな形で生き続けている。ヤンやクリスティアンやイグナスや『緑の堤防』の中に。だから俺は今もずっと父の存在を身近に感じるようにしてるんだ。たとえ心の重荷になっても、父の思い出と一緒に居たい。世界中が忘れ去っても、俺だけは決して忘れない」
「いつか、きっと海の彼方で会えるわ。こんなに想い合っているんですもの。決して離ればなれになったりしない……」
その後もいろんな事を話してくれた。
「鼻づまり」「キャベツ頭」と苛められたこと、オステルハウト先生の教室で気持ちが落ち着いたこと、サッカーが大きな転機になったこと、フランスでも発音を馬鹿にされ、とても辛かったこと――。
以前は恋愛に楽しいことばかり思い描いていたが、現実に相手を知ることは時に辛く、重い。彼とのデートも、お洒落なレストランで食事したり、ロマンチックな映画を見たり、ドラマみたいなことばかり期待していたが、本当に大事なのは食事や映画ではなく、互いに心を開き、辛いことや悲しいことも分かち合うことだと痛感した。
そのうち相手の嫌な所も目にするだろうし、自分の欠点も知られるだろう。それでも相手をいとしく思い、二人で一緒に居る方が自然に感じられるのが本物の信頼ではなかろうか。
トリヴィアに戻り、彼と離ればなれになるのは淋しいが、今なら少し自信がある。これからもいろんなことを語り合って、心と心で結びつきたい。それが出来る相手だと、リズは確信する。

【リファレンス】 鮭の産卵の動画

有名な『鮭の産卵』のビデオ。何百万という鮭が故郷の川に戻り、次々に産卵して、その生涯を終えます。後には、おびただしい数の死体が川辺に打ち上げられますが、いずれ生まれくる稚魚の養分となり、新たな生命のサイクルが始まります。一方、北上する鮭は、森の動物にとって最高のご馳走でもあります。鮭とクマの戦いは有名ですね。鮭一匹といえど、この世の役に立っています。

第三章 【海洋情報ネットワーク】のシリーズ

このパートは海洋小説『曙光』(第三章・海洋情報ネットワーク)の抜粋です。詳しくは作品概要をご参照下さい。

第三章 海洋情報ネットワーク Kindle Unlimited 版
4.5

稀少金属『ニムロディウム』の発見により、宇宙開発技術は劇的に向上するが、世界最大のニムロデ鉱山がファルコン・マイニング社の手に落ちたことから一党支配が始まる。 海底鉱物資源の採掘を目指すアル・マクダエルと潜水艇パイロットのヴァルター・フォーゲルとの出会い、生の哲学と復興ボランティアのエピソードを収録。
Kindle Unlimitedなら読み放題。

>海洋小説『曙光』MORGENROOD

海洋小説『曙光』MORGENROOD

宇宙文明の根幹を支える稀少金属ニムロディウムをめぐる企業と海洋社会の攻防を舞台に描く人間ドラマ。生きる道を見失った潜水艇パイロットと愛を求めるフォルトゥナの娘の恋を通して仕事・人生・社会について問いかける異色の海洋小説です。
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Amazonの海洋学ランキングで一位を記録した異色作。

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