海洋情報ネットワーク 海洋社会の知的基盤を強化する

海洋情報ネットワーク 海洋社会の知的基盤を強化する

海洋情報ネットワーク 海洋社会の知的基盤を強化する

社会の知的基盤の重要性

前述の『情報共有が社会と産業の発展を促す ~知的基盤の強化と組織の透明性』でも説明したように、社会の安定と発展の為に、正しい情報の共有と普及は不可欠なものです。

ソースコードの無料公開や共同編集が活発なGitHubのように、縦横に拡充する情報プラットフォームもあれば、省庁の配布物のように体系化された情報が無償で提供される公的サービスもあり、その為のツールやユーザーインターフェイスも、これからますます進化しそうです。

海洋に関しては、既に様々な情報共有サービスが展開されており、日本では海洋開発研究機構(JAMSTEC)のデータアーカイブ、アメリカでは海洋大気庁などが最たるものですが、それ以外にも、研究論文のPDF、YouTubeの公式チャンネル、企業や研究開発機構のウェブサイトなど、一般人でも様々な形で情報を入手することができます。

できれば、それらが一元化されて、Googleみたいに、小さな検索窓に「海底鉱物資源」と入力すれば、世界中の様々な研究機関や企業のデータベースから情報を取り出せる……というのが理想ですが、そうなると、年間数十億の予算ぐらいでは到底間に合わず、「法律はどうするの」「管理は誰がするの」「有償・無償の区分は何を基準にするの」等々、様々な問題が出てきます。グローバルな知的基盤となると、Google Republicみたいな巨大組織と資金が必要になるでしょう。

本作にも海洋情報ネットワークのアイデアは登場しますが、人口10万足らずのコミュニティの話なので、Google RePublicほどの規模は必要ありません。

だからこそ、開発が進み、人口が膨れ上がる前に知的基盤を強化する、というのが本作の主旨です。

【小説の抜粋】 海洋情報ネットワークの構想

鉱業界の巨人ファルコン・マイニング社の進出を受けて、これまでの開発史と問題点を振り返るヴァルター。

そもそも、宇宙文明の共有の資産である、稀少金属ニムロディウム市場において、マイニング社の寡占を許したのは、不透明な情報管理と隠蔽体質、大衆の無関心や情報の不足といった、知的基盤の緩みにあった。

そこでヴァルターは今のうちに知的基盤を強化し、透明性や公共性を高めることが、ファルコン・グループの一党支配の抑止力になると考え、関係者の前でプレゼンテーションを行う。

関連のあるエピソード → 
・ 一般ユーザーに説明する ~この世の九割は「分からない人」 

第三章 【海洋情報ネットワーク】のシリーズ

このパートは海洋小説『曙光』(第三章・海洋情報ネットワーク)の抜粋です。詳しくは作品概要をご参照下さい。

※ スマホとタブレットの場合、『PDFで読む』をクリックして下さい。

リズは父の後ろに従ってエンタープライズ社のカンファレンスルームに足を運ぶと、楕円形テーブルの上座と末席に父と離れて座った。

テーブルには既に産業振興会の役員や海洋行政の担当官、コンサルティング部の営業主任や沿岸調査会社の役員など、様々な分野の代表が顔を揃えている。またプレゼンテーションは社内LANや幾つかの関連企業にもライブで配信され、モニターの向こうではどれほどの人数が視聴するのか、リズには見当も付かない。

『海洋情報ネットワーク』と言うからには、ITシステムをベースにした情報共有サービスなのだろう。だが、それが地図検索のようなものか、機密を扱う高度なイントラネットなのか見当もつかない。私企業だけでなく、公的機関の担当も顔を出しているところを見ると、官民を越えた大がかりなネットワークになるようだが、だとしたら彼一人で構築するのは到底無理だろう。一体どうするつもりなのか、リズは不安げに手元の資料を見直す。

やがて時間になり、配信の準備も整うと、ミズ・ケアリーが父に耳打ちした。父が軽く頷くとそれが合図になる。

壁掛けのメインモニターにエンタープライズ社のロゴが映し出され、ミズ・ケアリーが開始のアナウンスをすると、出席者も一斉にモニターを注視した。

プラットフォームのオンライン会議システムに接続されると、今日は緩くウェーブのついたダークブロンドの髪を整髪料で整え、白いワイシャツを身に着けたヴァルターの姿が映し出された。無地のシャツも持っていたのかと、リズはほっとしたような気持ちで彼の姿を見守る。

彼は少し緊張した面持ちで出席者を見回したが、末席のリズの姿に気付くと、驚いたように目を見開いた。だが、すぐに気持ちを切り替えると、一度深呼吸し、いつもの口上から始めた。

「Luctor et Emergo. これが俺の一番好きな言葉です。今、目の前には茫漠たる海が広がっていますが、その底には無限の可能性が秘められています。鉱業、化学、エネルギー、観光、食産業、等々。その扉を開くには、海への理解が不可欠です。専門家のみならず、一般人にも分かりやすい知識の普及が次代の礎となるのです。しかしながら、現在のアステリアの現状を鑑みるに、知の社会基盤は必ずしも十分とはいえません」

プロジェクタには『海洋情報ネットワーク』の構想を分かりやすく伝え画像やテキストが次々に映し出され、一気にアイデアに引き込まれる。

彼は「今後のアステリアの方向性」に主眼を置き、「海洋都市」のメリットを活かした自治体の基盤作りを説いた。

「それにはまず海洋調査データを社会資源として活用する必要があります。誰もが手軽に利用できるオープンデータ・システムを提供し、海への理解を深めるのです。提供する調査データは、海洋図、潮流、潮汐、波高、水温といった汎用情報から、海底地形、海底地質、海水分析、海底ボーリングなど、研究開発に必要な専門的データまで多岐にわたります。これまで公的機関や企業、学術団体などが個別に保有するデータを連携・統合し、ポータルサイトを通じて、誰もが手軽に参照できるオープンデータベース・システムを構築するのです」

それから彼はネンブロットの鉱業が寡占や汚職など違法行為の巣窟となった経緯を語った。

一つでも多くの企業を誘致したいが為の先願主義の探鉱権付与や、猫の目のように変わる鉱業法、鉱山に関する情報を一部の企業連合が「機密」を理由に独占し、排他的な環境を作り出したことなどを例に挙げ、

「アステリアはその逆を行く。社会資源としてのデータ共有によって、海の状態や可能性を広く知らしめ、公正と透明性をもって優良経済特区に育てます。大航海時代、海洋国家に発展した国々は、造船技術だけでなく、正確な海図を作成する知識や調査力にも長けていました。その海図に相当するのが海洋情報ネットワークです。それは単なる検索サービスにとどまらず、企業、研究者、行政官、一般ユーザーが分野を超えて意見交換したり、グループワークを行う場も提供します。他にも様々な応用が可能でしょう。ここには国境も領海も無いからこそ、より柔軟性に富んだシステムが構築できるはずです。こうした情報サービスは直ぐさま利益に結びついたり、技術革新をもたらすことはありません。けれども、アステリアの海に何が有り、どんな可能性が秘められているか、多くの人が正しく理解することによって、海上の安全やマナーの向上、人材の育成や新規産業の創成など、海洋都市の基盤となるはずです。アステリアも次のステージに上ろうとしている今、真に必要とされるのは海洋都市としての理念であり、指針ではないでしょうか」

そうして二十分の持ち時間の中で一通り説明が済むと、早速、区政センターの海洋行政の担当が意見した。

「情報共有を目的としたオープンデータ・システムの必要性は理解できるが、アステリアで今すぐ機能するものかね。それでなくても区政の機能が追いつかず、管理も行き届かないのが現状だ。この上、公の仕事を増やされては我々も過負荷になる。第一、システムの開発費だけでも莫大だ。現在、海上安全局や一部の調査会社が手掛けている情報サービスにプラスアルファするだけで十分だろう」

すると向かいに座っていた行政官も頷き、

「実際に君が言うようなオープンデータ・システムを構築しようと思ったら、初期費用だけで数億エルクは下らない。そんな大層なプロジェクトを今すぐ立ち上げましょうと訴えたところで、果たしてトリヴィア政府が動くものかね。火急の案件は他にもある。海事担当が言うように、既存の情報サービスを少しずつ拡張する方が財政的にも技術的にも無難じゃないかね」

「今すぐ構築するのは無理だからといって、青写真を描くことまで止める必要はないでしょう。ステラマリスでも構想から実施まで何年もの歳月を費やしていますし、プロトタイプの試用だけでも収益を上げることは可能です。将来的なサービス運営に向けて協議を重ねるだけでも十年先、二十年先が大きく違ってくるはずです」

「だが、予算はどうするんだ」

「一つのモデルケースとして、ステラマリスの『パシフィック・マネジメントシステム』は、年間約十八億七千万エルクで運営されています。その八十パーセントは公的基金、残りの二十パーセントはユーザーの年会費、システム利用料、データ売買の中間手数料、寄付金などによるものです。人員についても、登録される情報は、情報提供者がそれぞれに収集、加工、管理しますし、いったんデータベースシステムを構築してしまえば、その後はメンテナンスが中心になり、維持費も人件費も多くを必要としません。『パシフィック・マネジメントシステム』も、運営に携わる主要スタッフは十四名、IT技術は二社の民間会社がサポートし、個々の情報の編集や管理は情報提供者に委ねられます。サービスのガイドラインを明確にし、ユーザー、情報提供者、総合管理者のフィードバックを充実すれば、少数のスタッフで膨大なデータを効率よく管理できるはずです」

「万一、システムの構築に失敗し、利用者も少なく、投資に見合った公益が得られなかった場合、どうするつもりだね」

「いきなり大きなシステムを構築する必要はありません。それこそ、現在海上安全局が無償で提供している汎用情報サービスを徐々に拡大するのも有りだと思います。従来の考え方と違うのは、これまで各機関が独自の判断で蓄積し、活用してきた調査データを連携・統合し、有償、あるいは無償で閲覧できるポータルサイトを通じて、縦横に活かすという事です。鉱物に限らず、海洋資源をどれだけ活用できるかは、ひとえに調査データの有効利用にかかっているのではありませんか」

二人の担当官がさすがに黙り込むと、彼も少し息をつき、

「大航海時代、海洋国家の王侯がこぞって船を送り出し、海洋を調査させたのは、それが繁栄の基礎になることを理解していたからです。今は大航海時代とは全く異なるかもしれませんが、アステリアも海洋情報ネットワークという『海図』を描くことで幾多の可能性が開けるはずです。物事を停滞させるのは無知に他なりません』

しばしの沈黙の後、今度はオンラインで参加していたMIGの役員が口を開いた。

「情報マネジメントと本質は異なるかもしれないが、既存企業の利益はどのように守るつもりかね。たとえば、エンタープライズ社は三十年前から開発事業に携わり、膨大な量の調査データやノウハウを蓄積している。業務提携してきた調査会社や造船会社も同様だろう。いずれも多大な負担やリスクを覚悟でやってきた業界の先駆者だ。区を活性化して、投資や企業誘致のしやすい環境を作るのは結構だが、その為に先発業者が『やり損』になっては皆が納得しない。いくら立派なオープンデータ・システムを構築したところで、周りの理解と協力が得られなければ機能しないと思うが」

「それは情報共有によって、ライバル会社にみすみす有益なデータを渡すことを懸念しておられるのですか」

「当然だ。企業はボランティアではない」

「何も全てを無償で公開しようというわけではありません。機密性や公益性は情報提供者が判断すればいいことですし、専門性の高いデータは会員制にしたり、有償にしたり、いくらでも手立てがあるはずです。重要なのは、誰がどのようなデータを所有して、どんな分野に役立つか、一般人にも分かりやすく明示し、二次利用を可能にすることです。たとえばMIGはローレンシア海域の膨大な調査データを有していると聞いています。そのデータは造船、土木、エネルギー、学術など、他方面にも役立つかもしれません。そして、実際、それを探し求めている人もあるかもしれない。その時、オープンデータ・システムの検索機能を通じてMIGが所有していると分かれば、各機関に問い合わせる余計な手間が省けますし、自分たちで再調査するよりMIGのデータを購入する方がはるかに安価かもしれません。共有とは『無料(タダ)で譲る』という意味ではありません」

「確かにそうだが、それは別の意味で不公平ではないかね。あの海域は我が社が莫大な資金を投じて調査を押し進めてきたものだ。海底地形や水質など、普遍的な情報の共有は分かるが、鉱床の情報まで公開するのは納得がいかないね」

「もちろん、データ公開は義務でも強制でもありません。公開できないなら、できないで構わないのです。あえて言うなら、海のことは簡単に真似できない技術の方がはるかに多いでしょう。たとえウェストフィリア周辺の海底に数百億トンのニムロディウムが存在しても、採掘する手立てがなければ存在しないのと同じです。こと海底鉱物資源においては、本当の意味で『機密』と言えるのは、正確なマッピングと採鉱システムの技術です。海底地形や地質データが即、ライバル企業の手引きになるわけではありません。むしろ既存のデータを公益に役立てることが社の信用に繋がるのではありませんか?」
すると、それまで黙って耳を傾けていたアステリア開発局のケイ・オハラ上級局員がオンラインのパネルを通じて初めて口を開いた。

「私もその点は同意するわ。情報やノウハウの共有は、一見、先発業者にとって不公平に見えるけど、技術面でも産業においてもリーディングカンパニーの信用を築くことが後々の利益に結びつくと思うの。採鉱システムにしても、設計の詳細までオープンにしようという話ではないでしょう。実際、アステリアの海洋資源に興味を持っている企業は少なくないし、経済特区としての評価も上がってきている。でも、彼らが進出を躊躇する最大の理由は『海のことは分からない』という点なのよ。アステリアに長年住んでいれば、高波も、強風も、生活の一部だし、悪天候で船が出航できない状況も経験する。気象予報を考慮して工事を見合わせたり、納期の遅れを予測したり、『海の機嫌を見ながら生産する』のが日常だけど、何も知らない人が見れば、高波で船が運休するとか、何日も搬送作業がストップするとか、とんでもない障害だったりするわ。それもこれも、何所をどう調べれば海のことが分かるのか、明確な道筋がないからよ。喩えるなら、異国を旅するのに、信用できるインフォメーションセンターが存在しないのと同じ。彼はその旅行インフォメーションに相当するものを作ろうと言ってるんじゃないの」

「しかしね、オハラさん、インフラ整備から雇用対策までトリヴィア政府に丸投げされて、人的にも財政的にも逼迫した中でやって来た我々の立場も考えて下さいよ」

アル・マクダエルの隣に座っているノボロスキ社の副社長が、アルや他の古株にも同意を求めるように言った。

「我々は今ようやく報われたような気持ちでいるんです。さあ、これから思う存分、苦労の果実を味わおうという時に次世代の育成の話をされても、何をどう協力すればいいのか。言いたい事は分かるが、我々にも情報資産というものがある。何でもかんでも『公益』を理由に差し出せというなら、それはトリヴィア政府の理屈と同じじゃないか」

するとヴァルターが再び受け答えた。

「ですから、誰が、どんなデータを保有しているか、リストアップして頂くだけでいいのです。他が『このデータを参照したい』と申し出れば、相応の値段で売買する事もできます。ノボロスキ社なら、精度の高い調査データや解析技術、海洋機器製作のポイントなど、一企業の中に埋もれさせるには惜しいスキルやノウハウがたくさんあるでしょう。それをある程度オープンにする事で企業の宣伝にもなると思うのです。俺が務めていた海洋技術センターも、『グローバル・シーネット』や『汎大西洋ポータル』といった情報共有サービスを通じて、深海の動画や画像、音響データ、三次元海底マップなどを提供していました。その技術が高く評価され、世界的な調査団体に発展した経緯があります。売り込みなどしなくても、データそのものが目に見える商品となって信用を築くのです。だからといって、予算も設備も限られた企業が新たにデータサービスを立ち上げるのは難しい。でも、サービスを代行する存在があれば、事情もまったく違ってきます。どこに、どんなデータが存在するのか、手軽に検索できるサービスや広報用のポータルサイトがあれば、いろんな形で情報資産が活かせるのではないですか?」

ノボロスキ副社長が押し黙ると、彼は改めて一同を見渡し、

「ファルコン・マイニング社がウェストフィリア海域に海洋資源調査権を申請したニュースを聞いて、戦々恐々とされている方も少なくないと思います。ここもネンブロットの二の舞になるののではないか、いずれファルコン・マイニング社に政治も経済も牛耳られ、せっかくゼロから築き上げた公正な企業活動の場を食い荒らされるのではないか、不安は尽きないでしょう」

彼はリズに言い聞かせるように言葉を続けた。

「しかし、どれほどの資本をもって乗り込んできても、海を理解しないことには船一隻操縦することはできません。ローレンシア島とローランド島、一見双子のような島でさえ、海岸の形状も、海底の地質も、海況も大きく異なります。まして北方のウェストフィリアは大半を雪と氷に閉ざされた火山島です。ローレンシア島の港作りのノウハウをそのままウェストフィリアに持ち込んでも、決して同じ調子には行かないでしょう。ファルコン・マイニング社が何を企てようと、前準備の海洋調査やインフラ整備だけで数年を要しますし、資源量把握はさらに長い歳月が必要です。その間、海台クラストの採鉱はMIGの独壇場です。それ以上にまだ先行者利益が必要ですか? ノボロスキ社やメアリポートの造船所も同様です。ライバル企業が乗り込んで対等に渡り合うには、まず同等の技術やノウハウを身に付けなければなりません。ファルコン・マイニング社の社長一人が気炎を上げても、腕のいい海技士がなければ、ウェストフィリアを航海することさえできないのです。その十年、二十年の合間に、法整備やインフラ強化、人材育成をしっかり行い、海洋都市の方向性を明確にすれば、たとえファルコン・マイニング社でも、そうそう身勝手な真似はできないはずです」

「では、仮にプロジェクトを立ち上げるとして、どんな準備が必要か説明してくれないかね」

エンタープライズ社のコンサルティング部長が身を乗り出すようにして質問すると、彼はもう一度、自身で作成した里程標(マイルストーン)をプロジェクタに映した。

「データベースが提供する情報の種類は、大きく分けて二種類。海流、水温、海上気象、潮位といった自然科学的な情報と、港湾・沿岸の利用状況や船の運航、海洋開発計画や研究機関といった社会的な情報です。そこで、行政機関、民間企業、学術団体など、将来ユーザーになりそうなものを対象にヒアリング調査を行い、どんな情報を、どのような形で利用したいか、ニーズを把握します。たとえば、海況に関する情報も、海運業者の知りたいデータと、観光業者の知りたい事は全く異なります。誰が、どんな情報を必要としているかを把握し、システムのアウトラインを明確にするのが第一歩です。また、それに並行して、IT面の環境を整えます。サーバーは誰が管理するか、オープンデータシステムはどのように構築するか、ポータルサイトはどのようなデザインにするか、購入手続きはどうするか、システムの基礎が整い次第、徐々に情報提供を開始し、利用者のフィードバックを参考にしながらサービスを拡充します」

「それで本当に機密は守られるのかね」

「オープンデータシステムは、一般ユーザー向けの汎用データと、利用者を特化した機密データに分けて、個別に管理します。たとえば、エンタープライズ社の情報システムも、一般社員の使う汎用ネットワークと、機密ネットワークが完全に分離され、情報漏洩することなく上手く機能していますが、それと同じです」

「人材はどうやって集める? これだけのシステムを構築しようと思えば、相当数の専門家が必要だろう」

「分野に応じてステラマリスの民間会社に委託してはどうでしょう。同様の海洋情報ネットワークの管理を手掛ける会社はたくさんありますし、何より情報共有の意義を理解しています。また、アステリア独自のシステム構築を通じて、ステラマリスの海洋科学ネットワークに参入することも可能です。互いに情報交換することで共存共栄の可能性も開けるのではないですか?」

「だが、そんなに上手く行くものかね」

行政担当が眉をひそめると、彼は確信に満ちた口調で言った。

「どのみち、アステリアは情報管理でも行政でも、あらゆる面で見直しが必要でしょう。先ほど海洋行政の担当も仰った、『区政の機能が追いつかず、管理も行き届かない』と。ここ数年で、産業の規模も、流入人口も、これまでの倍のスピードで成長してる状況を鑑みれば、今が抜本的な組織の改編や法整備を行う絶好の機会であるはずです。その際、自分達が何所に向かい、このアステリアをどうしたいのか、明確な理想も目標も持たずに改善することはできません。海洋情報ネットワークの概念は、その指針となるものです。海に生きるなら、海を正しく知ることが全ての礎です」

一同は互いに顔を見合わせ、納得がいったような、いかないような複雑な表情を浮かべている。その中でアルだけが前から分かっていたように飄々と資料を眺めている。

そろそろ時間も迫り、ミズ・ケアリーが意見は改めてメールで受け付ける旨を告げると、

「あのう……一つ質問させて頂いてよろしいでしょうか」

リズがおずおずと口を開いた。

「どうぞ」

彼が温かみのある声で答えると、リズは一呼吸おき、

「アステリアの為にいろいろ方策を考えて下さって、どうもありがとうございます。私が伺いたいのは、ステラマリスとアステリアの違いです。ご存じのように、アステリアはトリヴィアの属領であり、産業も行政も、その意向を無視して推し進めることはできません。ステラマリスのように歴史もあり、既に完成された社会の上にオープンデータ・システムを構築するのと同じように行かないのではないかと懸念があるのですが、その点はいかがですか?」

「むしろ発足して間もない自治体だからこそ、新しい試みが活きるのですよ、ミス・マクダエル」

彼は励ますように言った。

「幸い、アステリアには国境もなければ、天下国家を揺るがすような複雑な利害関係もありません。人類の歴史においては、海洋調査も産業活動も始まったばかりです。脆弱な反面、柔軟性がある。これからどんな風にでも青写真を描くことが可能です。因習から脱却して、本物の自由を手に入れることも。ネットワークは必ず機能します。船乗りが海図を求めるのと同じです。海の情報なしに船は進みません」

「けれど、情報サービスが引き金になって、いろんな勢力が外から入ってくれば、他の方が懸念されるように秩序の乱れを招きませんか? 採鉱プラットフォームが保有するティターン海台の生産権も二一四年には失効します。鉱業局の方針や他企業の出方によっては、縮小、分割、最悪、生産権の停止もあるかもしれません。そうなれば、MIGやエンタープライズ社が必死で築き上げたものはどうなるのか。アステリア発展の為に門戸を開く意義は私も理解していますが、一方で、悪いものも呼び寄せるのではないかと気が気でないのです……」

「何をそんなに怖がることがあるのです? あなた一人が岬の先端に立って、無敵艦隊を迎え撃つわけではないんですよ。世の中の多くの人間は、支配や独占より共存共栄を願っています。もっと大衆の良心を信じてはいかがです?」

「良心……」 

「そうです。あなたが思い描いているほど大衆は無力ではない。一人一人は滴でも、一つの流れになれば大木も倒します。そして、世の多くの人は、平和で幸せな暮らしを願っている。誰もが栄耀栄華を求め、利益を得る為なら人を欺くことも厭わない、という訳ではありません。ただ行動を起こすには、大衆はあまりに微力で臆病でもある。日々の暮らしに精一杯で、そこまでの動機が無いだけです。だが、いざとなれば一つの絵の下に集う。それが本当に個々の幸せや社会の繁栄をもたらすと分かれば、思いがけない行動力を発揮するものです。いつの時代も、最後に世界を動かすのは大衆の良心なんですよ。そんな先々の心配をして胸を痛める暇があったら、ローレンシア島の食産業について調べてみてはいかがです? 区民にとってはディナーも大切な幸せの要素です。もし、あなたの気に入るレストランがなければ、それは区民にとっても重要な問題です。ちなみに、あなたの好みはフレンチですか? それともイタリアン?」
「私は中華が好みです――」

「では、その系列を調査なさって下さい」

リズは笑いと涙がこぼれそうになるのを堪えながら「はい」と小さく答え、そこで会はお開きになった。

海洋小説 曙光 & 心と科学のエッセー

日本に限らず、世界的にも、ここ十数年の間にITが急速に進化して、情報収集や伝達に関しては、十分に技術が行き届いた感があり…

第三章 海洋情報ネットワーク Kindle Unlimited 版
4.5

稀少金属『ニムロディウム』の発見により、宇宙開発技術は劇的に向上するが、世界最大のニムロデ鉱山がファルコン・マイニング社の手に落ちたことから一党支配が始まる。 海底鉱物資源の採掘を目指すアル・マクダエルと潜水艇パイロットのヴァルター・フォーゲルとの出会い、生の哲学と復興ボランティアのエピソードを収録。
Kindle Unlimitedなら読み放題。

>海洋小説『曙光』MORGENROOD

海洋小説『曙光』MORGENROOD

宇宙文明の根幹を支える稀少金属ニムロディウムをめぐる企業と海洋社会の攻防を舞台に描く人間ドラマ。生きる道を見失った潜水艇パイロットと愛を求めるフォルトゥナの娘の恋を通して仕事・人生・社会について問いかける異色の海洋小説です。
Kindle Unlimitedなら読み放題。
Amazonの海洋学ランキングで一位を記録した異色作。

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